東京高等裁判所 昭和54年(ネ)847号 判決 1980年8月06日
控訴人
山田一郎
右訴訟代理人
桜井清
被控訴人
山田ユリ
右訴訟代理人
宮本隆彦
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人と被控訴人とを離婚する。控訴人と被控訴人との間の長女山田リカ(昭和四九年一二月一日生)の親権者を被控訴人と定める。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張及び証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
(控訴人の主張)
1 離婚の原因たる「婚姻を継続し難い重大な事由」とは、婚姻関係が深刻に破綻し、婚姻の本質に即した共同生活の回復の見込がない場合をいうのであつてその判断に当つては、婚姻中における両当事者の行動や態度、婚姻継続の意思の有無、性格、別居期間の長短など、当該婚姻関係にあらわれた一切の事情が考慮されなければならない。別居が長期間継続していることや、性格の相違が夫婦間の意思の疎通を欠くに至らしめていることは、婚姻の破綻を示す表象であり、また、単なる意地や反感などから離婚に応じようとしない場合には、真に婚姻継続の意思があるということはできない。
本件についてみるに、実質的な婚姻生活は婚姻後僅か半年位継続したにすぎず、別居生活は現在まで約六年に及んでいる。その短い婚姻生活の間も、被控訴人のわがまま身勝手な言動と気の強い性格によつて、当初から夫婦間に喧嘩口論が絶えず、控訴人の両親との折合も悪かつたことなどのため、いまだ真に夫婦としての愛情が融合しないまま別居するに至つたものである。また、被控訴人は表面上婚姻の継続を望んでいる如くであるが、これは単なる意地や反感から離婚を拒んでいるにすぎない。以上の事情を考えると、本件の場合もはや婚姻関係の破綻は深刻であつて、婚姻共同生活の回復の見込はないものというべきである。
2 婚姻関係は、当事者の厳格に相互的な関係であるから、当事者の一方に有責的な行為ないし態度がある場合、それが相手方の行為ないし態度に起因し又は誘発されたものであることが多く、従つて、婚姻破綻の原因がもつぱら又は主として当事者の一方にあるというような判断を下すについては慎重を期する必要がある。実際上多くの場合婚姻の破綻がどちらの責任によるものかを断定することはできないと思われ、そのような場合には離婚を許容すべきである。
本件についてみるに、被控訴人のわがまま身勝手な行動や控訴人の両親との不和が別居の一因であり、そのきつかけを与えたのであつて、その意味において被控訴人にも一半の責任があり、婚姻破綻の責任が主として控訴人にあると断定することはできない。
(証拠関係)<省略>
理由
一<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
1 控訴人は昭和二三年三月四日山田太郎、同ハナの間の長男として生れ、妹二人があるがいわゆる一人息子として成育し、昭和四一年春国士館大学政経学部に入学した関係で、郷里の山形県最上郡真室川町を出て東京で下宿生活をするようになつた。被控訴人は昭和二二年八月二六日川田一郎、同ツルの長女として生れたが、幼時に父母が離婚したため、父方の祖父母のもとで養育され、戸籍上もその養女となり、昭和四〇年栃木県立小山高等学校を二年で中途退学した後、小山市に在る会社に就職したが、二年余りでその会社をやめ上京した。
昭和四三年春頃大学三年生であつた控訴人は、当時スナックバーで働いていた被控訴人と知り合い、その二、三か月後二人は同棲するようになつた。二人の同棲生活は、控訴人が大学を卒業するまで一年余りの間続けられた。
2 控訴人は昭和四五年春大学を卒業した後、将来家業である製材業を継ぐのにそなえて、その見習のため、東京の材木販売会社に就職し、その会社の寮に入つた。他方、被控訴人はその後間もなく東京を離れ、小山市の実父のもとに帰つた(養父はその頃死亡)。そのように別々に暮すようになつてからも、控訴人と被控訴人とは、途中一時的な中断はあつたものの、親密な交際を続け、やがて正式な結婚を目指して、それぞれの親に二人の間柄を打明け、相手を引合わせるなどした。
二人の結婚について、控訴人の両親は当初反対であつたが、控訴人の懇請を受けて不本意ながらも承諾し、被控訴人の実父にも異存はなかつたので、昭和四八年春控訴人の両親が結納金を持参して小山市の被控訴人及びその実父のもとに赴き、その後被控訴人の実父も真室川町に出向いて控訴人の両親に挨拶をするなど万事順調に進展した。
控訴人は昭和四八年九月東京の前記会社を退職して真室川町の両親の家に帰り、父の経営する株式会社山田製材所の常務取締役として同会社の仕事をするようになつた。
3 かくて、控訴人と被控訴人とは昭和四八年一一月二三日真室川町で結婚式を挙げ、同年一二月三日婚姻の届出をした。二人は控訴人の両親の家の二階に住み、食事は両親と共にするという形で結婚生活を始めた。そのように控訴人の両親と同居することは、被控訴人も結婚前から納得していたことであつたが、実際に生活を始めてみると、主婦としての独立した地位は認められず、炊事をはじめ家事の仕方、生活のあり方等について、土地の風習や自家の習慣によらせようとする控訴人の母と、気性が強く、必ずしもそれに従おうとしない被控訴人との間に、日常些細なことで衝突の生ずることが多く、控訴人の父も口うるさい方であつたので、被控訴人と言い争いになつたことがあり、このように控訴人の両親と被控訴人との折合いは悪かつた。
被控訴人は、仕事の関係で家に出入りする客に酒を出したりして接待することを好まず、たまには、それを態度に出して客に挨拶もしないので控訴人が注意したところ、今は親の代であつて自分達の代ではないのだから構わないと言つて反発したこともあつた。また、控訴人は仕事上の付合いのため外で酒を飲み、遅く帰宅することが多かつたが、被控訴人は、控訴人の健康を心配するとともに少しでも早く帰宅して欲しいとの気持から、その都度苦情を述べた。被控訴人は、前記のように控訴人の両親との折合いが悪かつたため、結婚後一か月経つた頃から、二階に台所を作つて両親と食事を別にしたいと言うようになつたが、控訴人はその希望を受付けようとせず、両親に協力して従来の形態のままで共同生活をうまくやつて行くよう求めるに止まつた。そのようなことから、控訴人と被控訴人の間には口論が絶えず、時には控訴人が被控訴人をたたき、被控訴人が物を投げるなどの喧嘩になることもあつた。
しかし、以上のほかには、被控訴人に取り立てていうほどのわがまま勝手な振舞があつたわけではなく、結婚当初控訴人から感染した尿道炎による通院のため家事が十分にできないことはあつたにしても、朝は六時か六時半頃には起きて朝食の仕度などで家事に従事し、朝遅くまでだらしなく寝ているというようなことはなかつた。
4 ところで、被控訴人は昭和四九年二、三月頃後記の長女を懐胎したが、同年六月下旬控訴人は被控訴人に対し、自分やその両親と被控訴人との不和が続くのでしばらく冷却期間を置き互いに考えてみようと言つて、被控訴人を連れて小山市の同人の実家に赴き、一両日後被控訴人を残して同家を去つた。その二、三日後控訴人の親戚で栃木県に住む星野光郎ほか一名が突然被控訴人の実家を訪れ、控訴人の両親の意向であるとして、被控訴人及びその実父に対し強く離婚を申し入れるとともに、控訴人方には戻らせない旨申し渡した。このような申入れ等をすることは、控訴人が前から承知していたところであつたが、被控訴人は、それまで控訴人との間で離婚について話し合つたこともないのに、いきなりそのように言われて驚き、子供が生まれることでもあり離婚する意思はない旨答えたが、星野らは取り合おうとしなかつた。なお、この時控訴人は被控訴人の実家のそばまで高橋らとともに自動車で来ていながら、車の中にいたままで家には入らず、それに気付いた被控訴人は控訴人の真意を聞き話し合おうとして車に近付いたが、高橋らに阻止されて果せなかつた。そして、更にその二、三日後の早朝、被控訴人には何の断りもなく、控訴人の依頼を受けた運送人が控訴人方にあつた被控訴人の道具類その他の持物をその実家に送り届けて来て、何も言わずにその軒先に置いて立ち去つた。そのような仕打を受けて、被控訴人は小山町の実家にそのまま留まるほかなかつた。
5 その後も控訴人及びその両親は、被控訴人に離婚を求め同人が控訴人のもとに戻ることを許さないとの態度を変えなかつたので、結局控訴人と被控訴人とは昭和四九年六月末頃前記の経緯で別居状態に入つて以来現在に至るまで六年余り別居を続けている。
その間、被控訴人は昭和四九年一二月一日控訴人との間の長女リカを出産した。控訴人は右別居以来被控訴人に対し、その生活費はもとより、長女リカの出産や養育のための費用も全く負担しなかつたが、被控訴人が夫婦関係調整、婚姻費用分担の調停を申立てたことにより、昭和五二年八月三日宇都宮家庭裁判所において、「控訴人と被控訴人は当分の間別居する。別居期間中、被控訴人において長女リカを事実上監護養育する。控訴人は被控訴人に対し、リカの養育費を含む婚姻費用の分担として、昭和五二年八月から右別居期間中毎月金五万円を支払うほか、過去の婚姻費用として金二〇万円を支払う。」との家事調停が成立し、その後は右調停で定められた婚姻費用の支払を履行している。
6 ところで、被控訴人は前記のように気の強い性格であるのに対し、控訴人はおとなしくはつきりしないところのある性格であるが、両者は結婚前の数年に及ぶ同棲ないし交際期間を通じて、しばしば喧嘩はしたものの仲は悪くなかつた。控訴人は、被控訴人と結婚し両親と共同生活をするについては、被控訴人がその強い気性を改め、素直に控訴人やその両親の意向に従い、その家での共同生活に馴染んでくれるものと期待したのであつたが、実際には前記のようにその期待のとおりには行かなかつた。控訴人はかつて前記の星野光郎に対し、控訴人の両親と別居すれば控訴人と被控訴人はうまく行くとの趣旨の話をしたことがあり、また、前記調停の際被控訴人に対し、親や親戚がうるさいのでどうにもならない旨述べたこともあるほか、調停の帰途控訴人と被控訴人が長女リカと三人で食事を共にし、婚姻を継続させる方向で話し合つたことも何回かあつたが、現在においては控訴人はすでに被控訴人に対する愛情を失い、再び夫婦としての共同生活を送る意思はない。一方、被控訴人は今もなお控訴人に対し愛情を懐いており、長女リカのためにも夫婦揃つた家庭生活を営むことを強く希望し、離婚する意思は全くない(単なる意地や反感で離婚を拒んでいるものではない)。
以上の事実が認められ<る。>
二右認定の事実関係に徴して、婚姻を継続し難い重大な事由があるかどうかについて検討する。
1 控訴人と被控訴人とは結婚後僅か半年で別居し、その状態が現在まで六年余り継続しており、控訴人は被控訴人に対する愛情を失い、再び夫婦としての共同生活を送る意思はない。これらの点からすれば、両者の婚姻関係はすでに破綻し、これを回復することは、不可能とは断定できないとしても、著しく困難であるというべきである。
しかし、本件の場合に特徴的なことは、結婚後僅か半年で別居したといつても、控訴人と被控訴人との間には結婚前に一年半余りの同棲期間とそれに続く三年余りの交際期間があつたこと、また、両者が別居するに至つたのは前記一の4で認定したような控訴人の側の理不尽ともいうべき仕打によるものであつたことである。
2 被控訴人の気の強い性格及び真室川町における控訴人の両親との同居生活に対する心構えの不足が控訴人や特にその両親との不和を招いた一因となつたことは否定しえないとしても、被控訴人のそのような性格なりそれに根ざす生活態度なりについては、控訴人は前記の短くない同棲ないし交際期間を通じて十分に知る機会があり、また、真室川町の実家における生活環境の実際は控訴人の知悉するところであつたのであるから、控訴人としては、被控訴人と結婚して、右の実家で本来その結婚に難色を示していた両親との共同生活に入るについては、その生活において生ずるであろう事態を相当程度予測しえたはずである。従つて、控訴人にはそれに応じた用意や覚悟があつて然るべきであつたと思われるのに、実際にそのような用意や覚悟のあつたことはほとんど窺うことができない。この点について控訴人は、被控訴人が結婚後はその強い気性を改め、控訴人やその両親の意向に従つてくれるものと期待したというのであるが、人の性格やそれに根ざす生活態度はしかく容易に改められるものではなく、にわかにこれが変改されることを期待するのは無理であり、また、環境が著しく変り、かつ、間もなく妊娠して身体に変調を来し、精神的にも不安定な被控訴人に対し、早急に環境に順応し、控訴人やその両親の意向にひたすら従順であるよう求めることは、一方的に過ぎ、思いやりを欠くものというべきである。
3 結婚後被控訴人と控訴人の両親との折合が悪く、控訴人との間でもしばしばいさかいを生じたことは事実であるが、それが両者の結婚生活を維持することの絶対的な妨げとなるほどの深刻なものであつたとは到底いうことができない。被控訴人が気性の強い性格で多少わがままなところがあつたにせよ、それは前記一の3で認定した程度のことであり、格別に著しいものとはいえず、他に同人に特に不当な振舞があつたことは認められないのであつて、控訴人の側においても、従来と全く異なつた生活環境、習慣のもとにある控訴人の実家にただ一人よそから入つてきた被控訴人の立場に理解を示して、相互に自制し努力を重ねるならば、両者の間に不和を克服することがそれほど困難であつたとは考えられない。両親との折合の悪いことが少なからず不和の原因となつているのであるから、控訴人としては、両親と食事を別にする程度のことは、多少世間態が悪いにしても、考慮して然るべきであつたと思われる。そして、円満で安定した家族生活を築くためには、ある程度の期間の経過を必要とすることもいうまでもないところである。本件の場合被控訴人は結婚後間もなく妊娠していたのであるから、子の出生により事態が大きく改善されることも十分に期待しえたのである。
4 ところが、実際には結婚後僅か半年で、子の出生もまたず、控訴人及びその両親は一方的に被控訴人を事実上離別した。その別居に到る経緯は前記一の4で認定したとおりであつて、これは信義に反し、被控訴人の人格を無視した、理不尽な仕打というべききものである。そして、それ以来別居状態が続いているわけであるが、それは被控訴人が夫婦としての共同生活の回復を強く希望しているのに、控訴人の側でそれを拒んでいるためである。
5 以上に説示したところ総合すると、控訴人と被控訴人の婚姻関係は、長期間の別居生活が続き、事実上破綻し、これを回復することは著しく困難であるが、その破綻をもたらした責任は主として控訴人側にあるものというべきであるから、右の婚姻破綻を理由として控訴人が離婚を求めることは許されない。
三よつて、控訴人の本訴離婚請求は失当として棄却すべく、これと同趣旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(外山四郎 村岡二郎 宇野栄一郎)